第27話「バルンガ・ディジュリドゥ大会」

 

98年6月7日、僕はアーネムランド・バルンガ・ディジュリドゥ大会に来ていた。うわさに聞いていた通り八割がアボリジニのエントリーだった。アメリカ、ヨーロッパから、もちろんオーストラリアからも、そして日本からもエントリーがあった。僕の出番が刻々と近付いてくる。オーストラリアに来てからの色々な思い出が頭を駆け巡る。嬉しかった事、悲しかったこと、悔しかった事。本当に色んな事があった。しかし、此の地に来てから、自分が一番考えていた事はこの事だった。日本に残してきた妻、家族そして友達の事。その事を考えると、いつも寂しく心細くなり涙が込み上げてきた。けど、僕はその寂しさをバネに、「俺はやれるから、絶対やれる男やからって」何度も自分を奮い立たせ、この音色が自分の言葉に変わるまではと吹いて吹いて吹きまくって今日までやってきたんだと自分に言い聞かせた。

「GOMA FROM JAPAN!」僕はステージに上がり、マウスピースに口を付けた。そして根心の力を込めて一気に自分を開放させた。アーネムランドの広大な大地にそのサウンドが果てしなく響き渡って行く。青い空と赤い大地に挟まれて景色と自分が一体化した感覚を覚えた。空が夕焼けに赤く染まりかけた頃、結果発表が始まった。審査は、ギャラルウェイ・ユヌピング氏を代表とする審査員によって行われた。ギャラルウェイ・ユヌピング氏がステージに上がり特別賞、第三位と順に出場者の名前が読み上げられた。「準優勝」そう言った後に、ギャラルウェイ・ユヌピングはこう続けた。

「今やイダキは、ディジュリドゥという楽器としても世界的な広がりを見せている。そして私はこの一人の青年に感銘をうけた。HIS NAME IS GOMA FROM JAPAN!」僕はステージに再び上がり、これはとてもニュースな事だよという言葉と共に賞金を受け取った。ノン・アボリジニとしては初の入賞だと表彰式の後、聞かされるがその時は全く実感がなかった。ただただ、俺は俺でよかったんだと、自分が自分であり続けた事に間違いはなかったんだと、アーネムランドでの行き詰まっていた自分を思い出し、ディジュリドウが持たらしてくれたたくさんの出会いと経験に感謝した。

本来イダキ、ディジュリドゥなるモノは、自分の中に、そしてみんなの中にいるモノだと僕は思っている。物質としてのイダキ、ディジュリドゥは、あくまでもその存在を解放する為の手段であり、開放された瞬間その存在は近付いてくる。その存在が数万年の記憶の波の上に見え出した時、それは大きな自信へと変わって行く。

 

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