第4話「オウム教」

 

しばらくして、近所迷惑の事などもあり実家を離れ大阪市内、南堀江のビルで一人暮らしをはじめる事になった。音が出せるという事を優先して部屋を探した結果見つかったのが、下が居酒屋で横が朝まで営業のBAR、後はほとんど事務所という立地条件のこの場所だった。さすがに引っ越しした当初、毎晩朝まで隣で騒がれているのはきつかった。夜に玄関のカギをかけ忘れて寝てしまった時、気がつくと部屋に酔っ払いがいる事が何度かあった。しかし人間の順応能力とはすごいもので、すぐにこれも気になら無くなってしまった。

ある日、この立地条件を利用して店を始める事を思い付き、友人数人とその場の半分を店に改装してしまった。当時よく聞いていたSONNY CLARKのCOOL STRUTTIN'から店名を取りSTRUTTIN'と名付けた。今から思うとかなり風変わりな店だったと思う。彼女が作っていた服と僕の作るディジュリドゥを一緒に並べて売っていたのだ。当初、ディジュリドゥへの反応はというと、全くと言っていい程無だった。客人は、怪しい音がすると通報がありましたという警官と隣のBARと間違えて入ってくる酔っ払いだった。このままではヤバイ。不安ばかりが募っていく中、早朝は青果市場で働きながら昼から店を開けるという日が続いた。何とかしなければと思い立ったのが、楽器屋にディジュリドゥの売り込みに行く事だった。

「ディジュリドゥという楽器なんですけど、よかったら置いてもらえませんか?」
と実演なんかもしながら数件大阪市内の楽器屋を回った。
「音は面白いねんけど、ややこしい物はちょっとねー、、、」とか「誰も興味ありませんわ。」などと
断わられ全く取り合ってもらえなかった。

しかし、捨てる神ありゃ拾う神ありで、ある日、目耳の超えた雑誌の方が店の情報を聞き付け取材の依頼が来たのだった。主に服の方が取り上げられていたのだが、撮影の時にディジュリドゥをちらっと写るようにしてもらったり、ついでにこれもという形で雑誌に載せてもらったりした。この時雑誌、出版物の影響力の大きさを思い知らされる事になる。全国からディジュリドゥに関する問い合わせが来出したのだった。中には九州や新潟から店に来てくれた人もいた。これらの事が、それまで大阪からあまり外に出た事のなかった僕の視野をぐっと広げ、この道を突き進む自信と勇気をもたらした。

店が少し起動に乗りはじめた頃、こんな事があった。ある日ディジュリドゥを担いでビルを出ようとした時、TVの報道陣に取り囲まれたのだった。何事だと思った瞬間、TVで見かけた事のあるレポーターが僕の前にマイクを突き出しこう言った。

「オウム教の方ですか?」
「いや、違いますが何かあったのですか?」
「このビルの7階にオウム教の隠れアジトがあり、勧誘活動が活発に行なわれているという事なんですが・・・」
とここまで言った時に、レポーターの目が僕の背中のディジュリドゥへと止まった。今までの経験上、嫌な予感がした。その当時、本当にこういう民族物に対して偏見を持っている人が多かった気がする。
「これはなんでしょうか?」
「これはディジュリドゥという楽器です。」と例のごとく実演まじりで説明した。
そのレポーターはなんとかして僕をオウム教の信者に仕立て上げたいらしく、話を無理矢理宗教関係に持っていくのだった。その日の夜TVのニュースにボウズ頭にヒゲ、そして僕が今日着ていたようなシャツを着たオウム教の信者の修行風景が映っていた。僕のいたビルのアジトは、「発見!ハーレム教団、オウム教の隠れアジトか」という見出しで放送されていた。

 

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