第15話「マニマック」

 

翌朝、アーネムランドに向けて出発した。それは、ダーウィンでお世話になった人達にお礼を言う時間もないくらい急な出来事だった。ダーウィンからキャサリンという街まで車で南下し、そこからアーネムランドへと続く一本道アーネムハイウェイへと車を走らせる。アーネムランドへ突入の瞬間、空気感がガラリと変わり背筋がゾクッとしたのを憶えている。「ウェルカム トゥ アワ ランド!」ミニヤッパはその時こう言った。野生のバッファロー、ロバ、牛、馬とまさに大自然そのものだった。見るものすべてが目新しく、僕一人が興奮しっぱなしだった。アーネムランドへは、古いトヨタのランドクルーザー一台に6人乗り込んで行った。ミニヤッパの姉セルダ、妹デビー、ジョーイ(彼はオージーで車の持ち主)と奥さんというメンツだった。

ダーウィンを出てからほぼ丸二日、食事の時と途中で取った車中仮眠以外はずっと走りっぱなしで、ミニヤッパ達の故郷のバランダネーム、スキビッチという場所に到着した。ヨルングネームはゴニャンガラと言われている場所だ。車から降りて、ミニヤッパ達について歩いて行くと、ビーチ沿いで人が集まって何やら話し合いをしている場所に到着した。一人の大男が中心になって、みんなに何やら話し掛けていた。その大男は、石原軍団ばりのいかついサングラスをしていた。何を言っているのか理解できるはずもなく、ただただ聞き入っていた。話が終わるとその大男は僕らの方に近づいてき、こう言った。

「家族を連れてきてくれたことに、そして来ていただいたことに感謝します」と。

これがミニヤッパの父ジャール・グルウィウィとの最初の出会いだった。後に彼が世界的に有名なイダキシェーパーである事を知る。此の地から生まれた世界的に良く知られているヨルングバンドのヨスインディも彼のシェープしたイダキを使っている。挨拶の後、自分がイダキをプレイしている事、そしてさらなるステップアップの為にオーストラリアまでやって来た事を伝え自己紹介とした。するとジャールは、何も言わないままに歩き出し、僕を彼の家の前まで連れてきた。家とは言っても、政府から建て与えられた、日本の工事現場によくあるプレハブ小屋のような感じだ。家の前に、昨日ブッシュに行って、切ってきたというストリンギーバーク(ユーカリの品種。主にこの種がイダキに使われる事が多い。)が3本立て掛けられていた。

ジャールは、その内の一本を手に取りおもむろに削り出したのだった。彼は「マニマック」という言葉をしきりに発しながら、シェープに没頭していった。この「マニマック」という言葉が、僕が一番最初に憶えたヨルング・マッタ(言葉)だった。意味はというと、「最高!めっちゃイケてる」みたいな感じで、たまに挨拶がわりの「元気?」みたいな感じでも使われたりしていた。

 

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