第16話「ヨルングとバランダ」

 

最初の3日間程は、みんな殆ど口を聞いてくれなかった。僕は只ただひたすら彼らの生活を見、そして見られるという時間だった。見ず知らずのアジア人が突然やって来たのだから、その気持ちも分からない事はなかった。それにヨルングの人達は、基本的に恥ずかしがり屋だったのを思い出し、時間が解決してくれる事を願った。ヨルング達のバランダ(部外者)に対する警戒心について、ショップで働いていた時にこんな話を聞いた。

それはキャプテンクックが初めてオーストラリア大陸に到着した時の話だ。最初白人達が大陸に到着したのを、アボリジニ達はただただ眺めていた。一月後、白人達が木を切り出したのを何をするのかなと思って見ていた。二ヶ月後、切り倒した周りの木にロープが張り巡らされ、このロープからこっち側には入って来ないようにと言われた。三ヶ月経った頃、何も知らずにロープを越えたアボリジニが殺された。その時初めて、これが侵略である事をアボリジニは知ったんだと。そしてそれはたかだか200年程前の話であると。もともとアボリジニの人達には土地を占領するような価値観はなかったようだ。本当にその場に在するすべてのモノと共存してきたのが彼等の本来のライフスタイルだった。

が、しかし約200年程前に起こってしまったこの歴史上の大きな発見が、彼等の心の潜在意識に強い警戒心を植え付けた。そのころの深い傷跡が現在にまで色々な形で受け継がれているのだと。スキビッチに来て四日目の朝、ジョーイ(車の持ち主)がここでの生活に馴染めずアーネムランドを去って行った。事実、彼はヨルングの人達からやたらとお金をくれとせがまれていた。彼等からして僕はよほど貧乏に見えたのか、そうゆうことでも声をかけてくる人はなかった。その頃は、そんな事でもいいから取りあえず話し掛けて欲しかった。もし僕にディジュリドゥがなかったら、僕も同じくあの場所を去っていたかもしれない。今まで、都会の中で何不自由なく育って来た僕にとって、決して生易しい場所ではなかった。気温、日差し。それは今までの人生で味わった中で一番暑く、きつい紫外線を感じた。昼間はちゃんと目が開けてられないくらいだった。此の地で長年暮らしているヨルングの人でさえ、サングラスを必要とする程だ。彼等の話によれば、ここ二、三年位前から急に日差しが強くなったとの事だった。オーストラリア上空にオゾンホールがあると聞いた事があったが、それを体感した気分だった。

 

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