第25話「次の場所へ」

 

ある夜、いつもと同じようにボンダイビーチのナイトマーケットでバスキングをしていた時の話だ。数人の男が近付いて来て僕の前に座り込んだのだった。特に何か会話をするような雰囲気にもならず、僕も黙々と演奏を続けた。たまに英語を話すという行為にすごく自信が無くなる時があった。それがちょうどその時で、英語に対する自信の波は緩やかではあったが、時にすごいスランプに落ち入る事があった。マーケットも終わりの時間になり、僕が帰り支度を始めると、その集団の一人が近付いてきた。何やら話し掛けているのだが、英語の自信を完全に失っていた僕には全く理解ができなかった。というか理解しようとしなかった。その男は一枚の名刺を僕に手渡し、その場を去って行った。どうやらディジュリドゥショップを経営している人のようだ。

翌日、僕はその名刺を気にしながら、自分の英語力の無さと向き合った。だがいつも行き着く所は同じだった。何故この場所に来たのかという事だった。常にディジュリドゥの存在が僕をあらゆるスランプから引っ張り上げた。二日後、僕はその名刺の住所を頼りに、その店を探す事にした。オペラハウスの近くで、観光客で賑わっている場所の中にそのお店はあった。中に入ると、この前のあの男がいた。少し、話し込む。僕が使っているディジュリドゥに興味を持ったらしく、あの晩、話し掛ける機会を伺っていたんだとの事だった。あの日は自分が英語を話す事に疲れてしまっていたんだという事を伝えお詫びをして、今、自分がディジュリドゥの旅に出ているんだという事を話すと、毎年6月に行われているバルンガディジュリドゥ大会の話をしてくれた。しかもそれは、アーネムランド内で行われており、それが開催されている3日間だけ、アーネムランドのゲートが一般開放されるという話だった。その話を、ボンダイマーケットに集まってるディジュリストに話をすると、みんな知らなかったのかお前という感じだった。実際に出場経験のある人もいて、その人の話によると、エントリー者の大半がアボリジニだというのだ。当初の予定では、シドニーからメルボルンそしてパースへとオーストラリア大陸を一周して、又ダーウィンに戻る計画をしていたのだが、この話を聞いてしまった事により、その計画は頭から吹っ飛んでしまった。なぜならディジュリドゥの為だけにこの地まではるばる来た自分には、もっともっと素晴らしい多くのディジュリドゥプレーヤーに会えるのではと思うとそこに行かずにはいれない。そんな感じだった。

オーストラリアに来てから、何百人という、ディジュリドゥ、イダキプレーヤーに出会った。人それぞれに個性、スタイルがあって味を出していた。国に寄ってというか、使う言語によって出る音色が特徴付けられている事にも気が付いた。舌の微妙な使われ方で、出音が変わってくる。オーストラリアで吹いていると、僕の出す音色は、よく仏教のお経のようだななんて言われた。祖母の歌う御詠歌やお経を聞いていたのも、どこか潜在的に影響があったのかも知れない。

 

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