第12話「ミニヤッパ」

 

この場所でアンドリュー・ミニヤッパ・グルウィウィという青年に出会う。North East Arnhem Landの出身で、スキビッチやイルカラという場所に親、兄弟がいるという。アンドリューが英語名、ミニヤッパがヨルング・ネーム、グルウィウィが名字だ。ヨルングの人の名前構成は、みんなこういう風になっている。彼はアルコールも草も一切やらなかった。若い頃に十分味わったという話だった。

アボリジニの文化には、約200年程前に欧州人がアルコールを持ち込むまで、アルコールというものがなかったらしい。だから他人種に比べてアルコールに対する免疫力が弱く、すぐに酔っぱらってしまうのだ。この事が、多くのアボリジニ・アルコール依存症患者を生み出す結果となった。現在これは深刻な社会問題の一つになっている。
ミニヤッパはディジュリドゥも相当うまかった。そもそもディジュリドゥという言葉自体も、白人が後から命名した言葉であった。僕が接していたヨルング達はみんなイダキと呼んでいた。ディジュリドゥに関しては、アボリジニのコミュニティーによって色々な呼び方があるようだ。この頃になると、物の名前ほとんどに、二つの呼び名がある事に気付いた。彼らはその二つをヨルングウェイとバランダウェイと言って区別していた。バランダとは、ヨルング以外の人々を意味するヨルングの言葉だ。バランダネーム、ディジュリドゥ。ヨルングネーム、イダキという感じである。

ミンドルビーチのマーケットが終る10月頃から、ダーウィンの季節は乾季から雨期へと移り変わっていく。11月に入ると、ビーチで横たわっているだけで、体がべとべとするような感じになる。この頃から、ディジュリドゥの収穫も閑散期に入る。市場にあまりいいディジュリドゥが出回らなくなってくる。仮にいいディジュリドゥが採れたとしても、店にならぶ前に輸出されるといった有り様で、店にも殆どお客が来ないような状態になった。給料が歩合制で、本当にディジュリドゥの為だけにこの町に来た僕にとっては、正直言って、厳しい時期だった。オフ・シーズンである。トラベラーがいっせいに気候のいい南部に移動し始める。(友達の多くはバイロンベイというオーストラリア最東端に行くと言っていた。)今までの賑わいが嘘のように、静寂な町へと変わっていく。この土地にずっと生まれ住んでいる人は、あまり多くないようだ。

 

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