第23話「アボリジニのディジュリドゥ」

 

その後、僕はバスキングをしながら、ケアンズ、ゴールドコーストを経て、オーストラリア最東端バイロンベイへと南下して行った。その頃になると、2時間のバスキングで50ドル近く稼げるようになっていた。場所選びのコツみたいなものがわかってきたのだった。たまにお金ではなく、小切手や宿泊券やギフトカード、中には着ていたTシャツを脱いで置いていってくれる人もいた。

一度本当に驚くものを頂いた事があった。ケアンズで吹いていた時に頂いたヘビだ。即座にこれは困りますと、返そうとしたのだが、今お金を持っていないのでこれを変わりにとの事だった。そう言われると、好意を無理に持って返ってもらう事もできず受け取る事になってしまったのだった。ヘビの顔を覗き込んでみた。僕も途方に暮れていたが、ヘビの方も途方に暮れている様な表情だった。大きさ、約1メートル。太さ、3センチ。色、背中緑×深緑、腹白。年令不詳。しばらく眼を見合わせたまま考え込んだ。思い付いたのが、ヘビ遣いだった。試しにヘビをディジュリドゥの先に置いて、吹いてみる。全く反応なし。挙げ句に、ディジュリドゥの中に入ってくる始末。さすがにヘビを宿に連れて帰るわけにもいかず、途方に暮れていると、ヘビが動きだしあるお土産屋さんの前で止まったのだった。ふとそのお店に目をやると、オーストラリアンクロコダイルグッズがたくさん売られていた。それもすごい人だかりの人気ぶりだ。この時ふとアイデアが浮かんだ。オーストラリアンスネーク20ドルと値札を作り、ヘビに貼り付けそのお店の横にちょっと置いてみた。するとものの10分もしないうちに、孫にねだられたお爺ちゃんが買っていってくれたのだった。

ストリートでバスキングをしていると決していい事ばかりではなかった。文句を言われたり、物を投げられたり、お金を取られたり、後ろから急に蹴飛ばされたりと色んな目に合った。一番悲しかったのは、中年のおじさん3人組にハンバーガーやジュースを投げ付けられた時だ。その当時のオーストラリアは、未だに白豪主義の政治家が指示されているような状態で、日本人を嫌う人にはちょくちょく遭遇した。特にこの時の3人組は、日本人だけではなくアボリジニに対してもすごい差別意識を持っていて、日本人がアボリジニのディジュリドゥを吹いているなんて冗談じゃねぇという感じだった。だが、吹く事は絶対に止めなかった。俺はこれでやると決めたから。どんな状況に陥ってもこれをやり続けるともう決めたからだ。この時ばかりは、腹が立つというよりは、可哀想な人達だと同情した。

 

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